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05493
2023/10/05 12:45:18 |
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「自分は、たいしたものではないけれど、案外いい奴かもしれない」と思えたら、人生が楽しい、
もともと、人間はたいしたものではありません。
「自分がたいしたものではない」ことを受け入れたら、何を言われても動じません。
「バカじゃないの」と言われたら、「そのとおり、バカなんです」と答えれば、どこにも問題は生じません。
人前で話をするとき、まったくあがらない人がいます。あがる人の共通項は、上昇志向があることです。「いい話だったと評価してほしいと思う」から、あがります。
「評価されたい」と思うから、苦しくてつらくなります。自分自身はろくなものではないし、たいしたものでもないし、普通の人なのですから、人の前で話をするときに、「つまらない」と言われても、淡々と話して、帰ってくればいいわけです。
だから私は、「ダジャレ」を言うことに恐れはありません。いちいちダジャレの評価を気にして落ち込んでいたら、私は、すでに何千回も死んでいなくてはいけません。
「普通の格好をしていて、普通に話をする、普通の人であり続けること」
「ほかの人の評価」は関係ありません。他人の評価で生きるのではなくて、自分の評価で生きる。そうすると、自分がよく見えてきます。
神様が味方をしてくれる人になる習慣
人は1人で生きていると「ヒト」ですが、喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わります。
人の間で生きるということは、「自分が必要とされている」ということです。
「人間」の生きる目的は、ほしいものを得たり、何かを成し遂げることではなく、
「人の間で喜ばれる存在になること」
「『ありがとう』と言われる存在になること」
「自分の力なんてないんだ」と思っている人は、まわりに支えられて生きていることがわかっているので、「謙虚」です。
「謙虚」とは「感謝」すること。「感謝をする人(「ありがとう」を言う人)」のもとにはたくさんの人が集まってきて、「よき仲間」に囲まれます。
教え合い、学び合い、交歓し合う「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100%」。頑張りも努力もいりません。ただ、「喜ばれること」を続けていけばいいのです。
「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」をただやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)こと。→記事から。
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