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05388
2023/09/08 11:54:59 |
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「愚痴や泣き言」で面倒な現象に見舞われるようだ
会社の倒産、リストラ、病気、交通事故などに見舞われて、「自分は運が悪い」と思ったことが、誰にでもあるかもしれません。しかし、それは狭い考え方です。
どうやら宇宙は、「この人は、すごくおもしろい人だから『特別な幸せ』を与えよう」と思って、一般的に「苦労・不幸・挫折」と呼ばれているものを与えているようです。
はじめの「6時から3時まで引っ張られている状態」が、いわゆる一般的に「苦労・不幸・挫折」と呼ばれているものです。
この状態のときに、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を口にしないかどうかを、宇宙から問われています。
時計の振り子を使って、説明しましょう。
今、振り子が「6時」(一番下)の位置にあるとして、それを9時(左横)の位置に持って行こうとするとき、宇宙は、どのようにすると思いますか?
反対方向の3時(右横)の位置まで持っていき、そこで手を放すのです。すると振り子は6時をすぎて9時の位置まで行きます。
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わなければ、それと同じ大きさの「ご褒美」が待っているからです。
臨死体験の経験がある人たちの話によると、肉体が死んであの世に行くとき、私たちは神様から、「あなたはどれだけ人生を楽しんできたか?」を問われるのだそうです。
私たちが今、この世に生きているのは、魂が「体という着ぐるみ」を着ている状態のようです。
(但し、我が思考は魂は人の体の何処に存在するか、まだ、確実には証明されず、人の頭→頭脳の一部分かとも)
それならば、「今生」は今生でしか体験できないことをすべて味わい、自分の存在がまわりから喜ばれるように、思い切り楽しんで生きることにしませんか?
それならば、「今生」は今生でしか体験できないことをすべて味わい、自分の存在がまわりから喜ばれるように、思い切り楽しんで生きることにしませんか?
神様が味方をしてくれる人になる習慣
人は1人で生きていると「ヒト」ですが、喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わります。
人の間で生きるということは、「自分が必要とされている」ということです。
「人間」の生きる目的は、ほしいものを得たり、何かを成し遂げることではなく、
「人の間で喜ばれる存在になること」
「『ありがとう』と言われる存在になること」
にほかなりません。
発する言葉や表情など、その人のふるまいが「まわりを喜ばせるもの」になっていれば、投げかけた結果として、まわりの人があなたにとっての「よき仲間」になってくれるでしょう。
一方で、「自分の力なんてないんだ」と思っている人は、まわりに支えられて生きていることがわかっているので、「謙虚」です。
「謙虚」とは「感謝」すること。「感謝をする人(「ありがとう」を言う人)」のもとにはたくさんの人が集まってきて、「よき仲間」に囲まれます。
教え合い、学び合い、交歓し合う「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100%」。頑張りも努力もいりません。ただ、「喜ばれること」を続けていけばいいのです。
「そ・わ・かの法則(掃除・笑い・感謝)」を生活の中で実践することであり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言わないこと。
すると、神様が味方をしてくれて、すべての問題も出来事も、幸せに感じて「よき仲間に囲まれる」ことになり、「喜ばれる存在」になる。
→記事から。
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ここでも最低条件の存在を知ることです、
それは健康な肉体を持ち合わせることでしょうか。
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