フリーエリアNo1
カテゴリ
フリーエリア
メールフォーム
05152
2023/06/24 18:36:43 |
未分類 |
コメント:0件
日本社会が成長や成果を目指す社会ではなく、調和に最も重きを置く、均質的な巨大なムラ社会であり続けているからだ。調和最優先で同調圧力をかけてくる均質的な社会なので、自分を持ち、自分の人生を生きようとする人々を、異質なものを攻撃する免疫システムのように、抹殺にかかる。
しかし、いくら均質的で同調圧力が強くかかるといっても、1億人以上の総人口があれば、アホではない人も一定数いる。前段をひっくり返すようだが、アホを見抜くには、アホでない人を見抜けば事足りる。潜在的アホではない人は以下のような人だ。
・結果や成果に最もこだわり、つねに没入して働き結果を出し続けている人
・数字で物事を考えられ、説得力ある数字で指示を出す人
・組織内での成功にこだわらず、大きな人生の目標を本音で語って実行に移す人
・他人の視線をあまり気にしない人
・他人の時間にリスペクトがある人。
三国志で最強の軍師といわれる諸葛孔明の人物鑑定法はシンプルだが今でも活きる。
『これを窮(きゅう)せしむるに辞弁を以(もっ)てして、その変を観る。』
限界まで追い詰めてそこでの態度を見る、と私は解釈している。簡単にいえば、「怒らせる」のだ。本性が出るのは感情を乱したときだ。怒って感情を乱すにいたる経路や時間にも多くのヒントが隠されている。
・どこまでが平静を保てる限界か?
・何に怒るのか?
・仮に怒っても怒りをコントロールできるか?
孔子による「大人物」の定義
『君子は憂へず懼(おそ)れず。』
これは孔子による「大人物」の定義である。諸子百家の中でも、能力のわりに不遇で終わった孔子のすばらしさは、群を抜いた〝定義の小気味良さ〞だ。
大人物とは、「窮地にあってもまったく動じない人物のこと」である。春秋戦国時代のさなかに、多くの栄枯盛衰・盛者必衰を目の当たりにしながら、不遇の自分の人生を自省して行きついた境地なのだろう。→記事から。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンクNo1
ブロとも申請フォーム
QRコード

カレンダー
RSSリンクの表示
リンクNo2